これも肩に力が入りさんざん悩み、ある意味少しあきらめも出てきた時に肩の力が抜け一瞬「無」の状態で「ふっ」と思いついたのを覚えています。それから2人で話し合い少し改良して出来たのが「うもれぎ」でした。うもれぎ(神代)とは地層中に埋まった樹木が長年の間に炭化して化石のようになったもので、人工ではできない何ともきれいな色をした木です。自分達の中では良いものが出来たのではないかと思っていましたが、なにしろ見た目がかなりシンプルだったのでただの板と言われればそれまでで出品にはかなり勇気が必要でした。というのも当時のクラフト展ではこのようなシンプルな家具は少なく、しかも初出品だったのでなおさらのこと。しかし結果は見事グランプリを頂くことができ、一報を受けた時周りに誰も居なかったので当時飼っていた犬の「ゴン」に抱きついたのを思い出します。
後に、思い起こせばあのとき一瞬ですが肩の力を抜いて考えることが出来たから、このように良い結果を残せたのだと思います。簡単なことではありませんが、時にはこのように「無」の状態で生まれるものから思いもよらないものができることもあるように思います。
この作品に書かれた評価はこうでした。
木のクラフトのもつ暖かさや温もりを断ち切り、これ以上はないというまでに、
削ぎ落とされたシャープなフォルムの放つ緊張感が鮮烈である。
完璧なプロポーション、エッジの切り込みの角度、
ディティールの美しさに作者の鋭い感性が伺える。
化石のように硬くて加工の難しい素材−神代・タモ−を用いて、
細部に濃縮された加工技術は、微塵も手の痕跡を残さない…。
若い木工作家の潔さ、仕事の充実度が感動を誘う。
花台に限らず、多様な生活シーンへの提案性のある優れた木製家具である。
制作した本人はここまでのことを計算して作ってはいません。
ある意味職人は、感覚で仕事をしているように思います。
言葉で表現することはもちろん重要なことですが、作る過程で足したり引いたりしながら仕上げていく感覚も鍛えていかなくてはいけません。
少なくとも僕たちはそうやってきました。
これからもこの「感覚」というものも大切に作品を生み出していきたいと思います。
そのためには良い話を聞き、良いものを見て、おいしいものを食べる、こうしたすぐ出来ることから始めようと思っています。
’98高岡クラフトコンペグランプリ作品「うもれぎ」
